Life

コヨーテに思うこと。

コヨーテを見つけた。

最後に見たのはいつだったかおぼろげだ。
7年前、我が家が建った頃、周りは空き地で原っぱが続いていた。
直ぐ近所に、今は廃墟となっている大きな軍施設と広がる敷地があり、フェンスで囲まれた中にコヨーテ達が住んでいる事が、直ぐに分かった。

当時はたくさん住み着いていたのだろう。
原っぱに目を向けるとしょっ中見つける事が出来た。
夏になると、コヨーテの子供達が夕暮れにキャンキャン鳴き、今日の暑さで水を欲しがって鳴くのか、はたまた戯れて遊んでいるのか、そんな姿を想像しながら過ごすのが、長い陽が暮れる夏の夜の風物詩になっていた。

特に冬の雨の降った日には、何処に身を隠しているのだろうかとふと原っぱに気持ちを向けた。

実際、コヨーテは巣穴を掘りそこを寝ぐらにしているものなので、心配など及ばないのだ。

この2年ほど、その原っぱは徐々に変わって行き、夏の親の遠吠えもコヨーテの子供達の鳴く声も、姿を見かける事も無くなっていた。

そして運転しながら原っぱを通る時、
今居るんじゃないかとふと思い、目をこらすと
コヨーテを見つけた。
I see you !
I found you !
とつい叫んだ。嬉しい。興奮していた。

私が見たコヨーテ達の中でも小型な彼(或いは彼女)は痩せた腰を持ち、一頭で年々狭くなりつつある原っぱを歩いている。
充分な安全も、食べ物も、眠る事も野生の彼等には初めから無い。
人は安全や安心を経験してしまった故、
それを当たり前に思うのか。

コヨーテは北アメリカ全域に生息するイヌ科の動物である。
肉食で、我が家の周りだと、リス、ウサギやネズミ、トカゲや虫を食べているのだろうか。
稀にペットを襲う事もある。
決して家畜犬には向かない野生の動物だ。

2年ほど前、ココを早朝散歩に出すと、私達の目の前に走っていく小さなコヨーテに遭遇した。
何処の家の犬が逃げ出したのかと一瞬思った。
何か探している様子で私達の事は見向きもしなかった。
すると、再び私達に向かって大きなコヨーテが走って来た。
私は咄嗟にココを抱き抱え、止まっている車の後ろに隠れた。
コヨーテは時折人間も襲う事がある。
親子のコヨーテが早朝我が家のコミュニティーに噴水の水を飲みに来たのだろうか。
そして子供のコヨーテが勝手に動き回り、
親を見失って探していたのかなと、
勝手な人間が想像した。
コヨーテを目の前にして、
足がすくむ程恐怖を感じたが、
彼らがずっと生きていて欲しいとも思った。

直ぐに私達を見つけて、通りすがりの車から、
今コヨーテがいたのを知っている?
犬の散歩には気をつけて。
と声を掛けてくれた人が居た。

コヨーテは危害を加える生き物として、
年間相当数が捕獲処分される。
かつてはコヨーテの生き場所だった土地がたくさんあった。
私が見たコヨーテはこの周りでは最後の一頭かも知れない。
夜のうちに、近くのもっと安全な山に移ってくれないものか。
これもまた勝手な人間の願いだ。

還暦祝い

先月夫が還暦を迎えました。
出会ったのは39年前のちょうどGW。
還暦の誕生日を祝う事など
想像もしていませんでした。
還暦とは暦を十二支と十支の組み合わせ60種を
一巡りした事であり、
生まれた暦に帰った。
暦に還ったというおめでたいお祝い。
お誕生日は東京で、
イタリアンレストランでお祝い。
カリフォルニアに戻った先日は、
娘がアップルパイを焼いて来てくれて、
再度3人でおウチでお祝いしました。
主人が好きな物、ビーフシチュー、ポテトサラダ、ちらし寿司、貝のワイン蒸し、イチゴのショートケーキ。
カズもオコボレに預かって大興奮。
お腹壊さなかったかなぁ。

ファースト バスケット

こんにちは。

かれこれ1年がかりで出来上がった
ナンタケット・バスケット。
私のファースト バスケットになりました。
いきなりこの6インチ型の蓋つきに挑戦するも、
先生にはたくさんお手伝いしてもらいました。
何度もブチッと切れて、
めげそうになりましたっけ。
内底はその年のpennyを貼るのだそうですか、
私はバスケットのチャームにしました。
一つだけと思いながらも、
もう一つ、もう一つと、
魅力にはまるのが分かります。
Y先生ありがとうございました。
またよろしくです😍

平成最期の日に

平成最期の日に
カリフォルニアの青空です。

アメリカは今日平成最期の日、4月30日がそろそろ終わりに近づいています。
日本では既に新しい年号、令和に変わり
国民は少し戸惑いながらも、祝賀ムードに沸いているようにニュースを通して感じています。
戸惑いながらも、という表現はやはり皇室での出来事でありますし、
昭和の終わりが昭和天皇の御崩御であり、
平成の始まりだったからです。
平成という年号が発表された日の事を今でも
はっきり覚えています。
日本中が喪に服し、寒く、とても重く静かな夜を過ごしました。
そして令和の始まりは、天皇、皇后の今までの歴史と御公務や国民に対しての深い思いやりに、
お二人がいつも寄り添い、
御健康でいらっしゃるお姿に心から感謝し、
そして新たにお迎えする新天皇、皇后に
変わらぬ日本の象徴として、
いつまでも健やで令和(Beautiful harmony)で
平和な日本を、日本国民に寄り添って
くださいますようにと願います。

30年前、我が家では平成が始まった日、
夫が親不知を抜歯しに
近所の歯医者に行きました。
夕方になってもなかなか帰って来ず、
やっと帰って来た夫は頬を押さえて、
結局抜歯出来ず、大学病院を紹介されたので
明日また行って来る、
と言って辛そうだった事を覚えています。

それからの私の平成と言う30年は
どんな時間だったのだろう。
娘は3歳、その3年後の平成3年に
息子が生まれました。
その年から我が家は家族4人、
東南アジアのある国に初めての海外赴任で
渡りました。
全く知らない土地で、初めて家族だけの生活を
始める事は、若い私にはワクワクする
経験でした。
夫が不在の夜、海外の地でふとラジオから
流れて来た“上を向いて歩こう”を聞き、
何故が涙が止まらなかった事を
ついこの前のように思います。
その後、北カリフォルニアの赴任が決まり、
その土地が私達家族のホームに成りました。
子供達は学校に通い、私は子供達の繋がりから
母親として良い経験をし、友達を得、
成長する事が出来た12年間でした。
日本に本帰国をし、大きな震災を
真近に経験しました。
あの日の事も忘れられない出来事で、
今でも思い出す度に、時間が戻り、
瞬時に止まるような感じがします。
信じられない映像が次から次へと流れ、
携帯や街の非常警報が聞こえる度に
体が固まりました。
ココはその警報を怖がり、
その度に抱きしめて過ごしました。
私が夫から掛かって来た電話に、
やっと繋がった子供達との電話に、
あの時程安堵した事もありません。
他にも平成は災害が多発した時代でした。
震災の後に訪れたカリフォルニアでは、
ふと入ったレストランやカフェで
知らない人々が日本を心配して
声を掛けてくれました。
見知らぬ人々の優しさに触れた経験でした。
日本で久しぶりに始めた生活は新鮮で、
その時着物の魅力に惹かれ、
ピクチャーフレームを考案し
ご指導いただいた金子りょう子先生に
出会いその後私のライフワークに成りました。
息子の学校を通して、私が経験する事の無かったたくさんの感動を貰いました。
その後2011年には南カリフォルニアに移住し、
ピクチャーフレーム、お菓子のレッスンを
始め今に至っています。
平和な日々の中でも、大切な家族の病気や
旅立ち、新しい事への挑戦や戸惑い、
信頼していた友人からの裏切りや傷つき、
私が傷つけてしまった事など、
この30年間に起こった出来事を今受け入れ、
やり直しではなく、もう一度同じ位置から、
手離して始められたらと思います。

今回の日本国の新年号に関する海外の報道は、
令和をBeautiful harmony と訳しました。
何度か繰り返すうちに、
なかなか良い表現だと感じています。
これからの私達夫婦、家族もそう成りたい。
ハーモニーが周りの人を心地よい場所に
運べたらと思います。
私の平成30年、さようなら。
令和の時代の始まりです。

代償

こんにちは。
最近あちこちでハイビスカスを見かけます。
だいたいモールの駐車場。
物凄く元気を貰いました!

今日は何と、4ヶ月ぶりに
タンゴレッスンを受けました。
ちーとも、上達しない私が
4ヶ月も全く練習なしで
現れるのですから、きっと怒ってるんだろうなぁ〜と腹を括って行きました。
しかし、さすがエリザベスです。
アルゼンチンのタンゴ・ディーヴァは
「ハーイ、元気だったー?
アタシめちゃくちゃ忙しいのー。
けど会えて嬉しいわ〜」
って、Viva Latina !!

それにしても怠けた代償って凄いです。
私もね、タンゴを始めてから何処に行くにも
毎日履きなれないヒールを履いて、
練習に備えてたんですよ。
けどステップ忘れてたら、話にならないですよね。、

レッスン中、1時間ダメ出しの中でも、
褒めるツボも押さえて、
私のモチベーションを繋げるべく喋りまくる
タンゴ・ディーヴァ。
有り難いっす。
また頑張るわ!
そんで、いざミロンガ !!
Gracious 💃

神戸の一日。

何十年ぶりかな、神戸。

 

独身の頃仕事で神戸のハーバーランドのホテルに
泊まったけど、すっかり変わっていました。
お姉様とのデートは、
ラ・スィートホテル神戸のフレンチレストラン。
淡路産の新鮮な魚やお野菜のコース。

横浜とはまた違う風情の港町を眺めながら、
ランチを楽しみました。
三ノ宮、元町、南京町も本当に久しぶり。
夜は串揚げダイニングに
連れて行っていただきました。
2人共10本でギブ。
一日お付き合いしてくださったお姉様、
いつもありがとうございます💕
京都に戻り、東寺の枝垂れ桜のライトアップを楽しんだ友達と合流して、居酒屋へ。
二次会、部屋飲み。
このグループ、みんなお酒強ーーい。
旅行もいつも一緒なんですって。

楽しいだろな〜♪

桜が満開 京都です

久しぶりに京都に来ています。

桜の季節の京都。
このところの観光客の多さを心配していましたが、東京の桜の名所に比べるとまだましでした。
京都の友人の初孫にご対面!
キャワイイ〜〜💕
親友に孫が生まれ、なんだか不思議な感じです。
こんな将来なんて、想像する時間もないくらい、
一分一秒を楽しんでいたあの頃、
同じ二人が結婚し、母になり、
子育てをして、夫を支え、
何かないかと焦り、探して、
親を見送って。
友人の娘が嫁ぎ、そして新しい家族が増えて、
こうして幸せも苦労も家族として繋いでいる
友人を羨ましく、誇りに思います。
あー、それにしても孫って可愛いものなんだなぁ〜。
今回友人が珍しい神社を案内してくれました。
金比羅様です。
穴をくぐって祈願します。
 
高台寺の枝垂れ桜。
祇園白川の夜桜のトンネル。
京都も満開の桜を見る事が出来ました。
石塀小路のたん熊ディナーを楽しんで、
ゆうこさんのバーでおしゃべり。
今日は神戸で半日デートです。

甲州の旅 ②昇仙峡とぶどう狩り

渋滞になるとの予想で宿を早く出発し、
目指す昇仙峡には40分程で到着しました。


ロープウェイからの紅葉を期待していたけど、
あと2週間ぐらいはかかりそうです。


でも何故か麓に1本だけ綺麗に色付いたもみじを見つけました。
この日は台風25号の影響で東京は30℃越え。
山梨も33℃もあり、昇仙峡の川沿いを歩いていても日陰が無くて辛かった(>_<)


赤松が多く、大きな岩石が特徴の昇仙峡。
南アルプスの奥には夏の富士山がそびえています。頂上で大きく深呼吸し、森からの風とパワーを貰いました。


帰りは登り坂と階段を上るのでお昼はほうとう鍋を食べようと話していたのに暑さに負けて2人共ざる蕎麦。

東京に帰る前に、ぶどう狩りにも寄りました。
シャインマスカット、甲斐路、甲州などが今の旬のぶどう種で、私達の好みは甲斐路。


どれも東京のスーパーの半額くらいです。
甲州は果物と温泉の郷。
次回は山桜を見に行きたいです!

甲州ワインの旅 ①

日本は体育の日で3連休です。
いよいよ行楽の季節が来ましたね。
今回は山梨県に甲州ワインを楽しみたいと
やって来ました。
通常都内から2時間程度で到着する筈が、
事故渋滞の為4時間半かかってしまいました。
日頃の行いが悪いせいかも…。

2時間半で巡ったワイナリー はルミエール、マルスワイナリー 、グレイスワイナリー 、勝沼醸造、フジッコワイナリー 、メルシャン勝沼ワイナリー 6軒。物凄い勢いだったとお分かりでしょう。

今日の宿は石和温泉郷に在ります。
お昼からお酒も入っているので、
のんびり過ごす事にしましょう。

明日は昇仙峡とぶどう狩りしよっかな。

最近解禁した事

ニョキー、すんません。

来世に残して置くつもりだったものを引っ張り出してみました。
しばらくはプライベート・レッスンをするつもりですが、盆踊りからなかなか抜け出せない私に優さしい先生。アリガタイ!
どーか私を見放さないでくださいなー。